警備業の歴史とは?発展したのが東京オリンピックって本当?

今日、当たり前にみられる人々を警備する警備業界ですが、その歴史はまだ長くありません。このたびは、警備の業界の歴史を説明します。

目次

はじめに

太平洋戦争前に、なかった日本で、最初に会社が作られたのは、1962年となります。それ以前には、戦前を含めて警備業自体の存在はありませんでした。創業された会社は日本警備保障であり、これが現在の業界最大手警備会社セコムの前身となります。それまでの日本において、水と安全は無料であるという考え方が当たり前でした。そのような慣習の中、警備業のスタートは当初厳しいものでした。しかし、警備業界が始まって2年後に警備業が日本全国に広まるイベントが開始されたのです。

警備業の登場は東京オリンピック

警備会社が日本でできてから2年後の1664年東京オリンピックが開催されました。東京オリンピックは、当時参加国数93の国と地域が集まりました。オリンピック選手団の総数は5152人、また訪日の外国人者数も35万人を超えるイベントとなりました。

警備員は、そのオリンピックの選手村建設場所の警備を中心に活躍をしました。また、オリンピックの開催中においても、選手村に不法侵入者が多発したため、五輪の組織のコミッティーから警備会社へ警備依頼を行いました。この警備状況を翌年、テレビドラマ化(警備司令ガードマン)で日本全国へその存在が知られました。

オリンピック後、警備業の発展

オリンピック開催前後、日本において、高度の成長期にあたっています。年々、新しい通路や建物などが建設されてます。オリンピック翌年は、早くも貴重品などの貴重品警備部門も始まっていました。そのような中、世の中が大騒ぎする事件が発生しました。それは、現金3億円事件です。東京都府中市で発生したこの事件は結局犯人が見つかることはなく時効を迎えました。この事件を契機として警備会社へ現金輸送の警備の委託を行うケースが増加しました。

また、東京など都心においても経済成長に伴い都心の空洞化現象も発生しました。空洞化とは住居が郊外へ移動することにより夜間の都心に人が少なくなる減少を指します。都心に人が少なくなることにより、治安の悪化が発生しました。その対処として警備員が安全を守る役割を果たすようになったのです。その頃、同時に日本各地でビルや工場などの建設ラッシュが続いていました。工事車両やマイカーの普及などから交通の誘導を警備員が行う機会も増加してきました。

社会全体の不安定化

そして、見逃せないのが、1970年代には学生紛争や公害反対運動など日本各地でデモや抗議活動が繰り広げられました。デモや抗議活動から安全を守るためには警察の人員だけでは間に合わず、警備員が安全を守る一端になっていました。このように活躍の場所を広げてきた警備業界では、一部で警備員による窃盗などの事件も発生していました。警備員の資質と社会の安全を守るために昭和47年に警備業法が法律として定められ、罰則事由、欠格事由、業務規律などが明確に条文化されることとなりました。

その2年後、再度日本全国を揺るがす大きな事件が発生しました。それは、日本航空機ハイジャック事件です。日本赤軍によるこのハイジャックは社会的問題となりました。この事件を契機に空港の警備体制をより強固なものとするために、空港保安事業センターを設立し、警備員が空港の警備に当たるようになりました。同じ時期に、早くも機械警備が開始されました。

機械警備の登場

機械の警備とは、マシーンなどの機会が異常の状況を察知、ガードマンの目視をたよらずに、安全を守れるようになりました。警備実施の設備へ警備員に向かわせる代わりに感知機械を置きます。その感知器が通常ではない反応に行うと遠隔地の警備員の事務所に通報が届いて、警備員が異常が見つかった場所に急いで向かう仕組みです。この機会警備を導入に進めば、警備業界はより効率的に、24時間運営で、機密性、秘匿性を高くおこなえるようになりました。その後、警備業界活躍する場所はますます増加しています。

それに伴い、1982年には警備業法も改正され、より安心安全な警備に行うために警備員指導教育責任者制度や機械警備管理者制度が開始されました。この制度により、警備業界全体の教育システムと教育レベルが向上することとなりました。昭和60年には、警備会社の数は4009社、警備員数は17万人を超えるまでの大きさとなりました。会社の増加と現場の増加で警備員の質の向上へ目指し、資格の制度が開始しました。

ホームセキュリティの開始

同時期には、セコムが日本初の家庭用安全システムを開発しました。これまで警備の対象はビルや商業施設や競技場といった公共の施設の警備が中心でしたが、警備対象を初めて家庭が加わるました。これは、今の通信システムが知れわたる前の事でだったことを考えるといかに先駆的なサービスの提供開始かがわかります。

ホームセキュリティは、警備会社が各家庭に専用の警報装置を設置します。警報装置だけでなく、窓や扉にセンサーを取り付ける場合もあります。扉や窓につけられたセンサーが異常検知、住人が異常を察知すると警報装置からアラート信号が発せられ、警備員が自宅に急行して異常の有無を確認するサービスとなります。ホームセキュリティの分野は、今後一人暮らしの高齢者が増加する事が確実な中、需要がますます増加する見込みです。

昭和64年には金融自由化に伴いATMの無人化がすすむようになりました。それに伴い、警備会社でATMの現金回収、保守点検、異常時の顧客対応などワンストップで行うようになりました。現在でも、現金の搬入、搬出をおこなっている警備員の姿はよく見かけます。2021年現在には全国のATM設置台数は約18万台となっています。これは10年前から5000台程度増加しています。

警備業界の大きな過ち

順調に成長を続ける警備業界であったが、2001年には警備業界の信用を失墜する事件が発生しました。それは、兵庫県明石市で行われた花火大会で発生した事故です。警備計画の不備、警備体制の怠慢により、死者11名、死傷者247名が出る事件が発生しました。

この教訓を元に、警備業務検定に雑踏警備業務検定試験が創設され、有資格者の配置が警備業法で定められました。また同年にはアメリカで同時多発テロが発生し、世界中で防犯に対する意識が高まった年でもありました。その後、平成15年には警備業界の売上高は初の3兆円超えとなりました。警備員数は45万人を超えています。警備員の増加に伴い警備業法が改正されました。

主に警備業務の区分が、現行の常駐警備、交通誘導警備、貴重品運搬警備、空港保安警備、核燃料物等運搬警備にまとめられました。各業務の現場に検定業務に合格した有資格者の配置を義務づけました。近年では、新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言による活動自粛、行動制限がなされる中、警備業においては底堅い需要の中、売上高は3.5兆円前後、警備員数も60万人にせまる状況となっています。

警備業界は、業界自体が開始してからまだ70年あまりと歴史は浅いものの、安全というこれまで日本に存在しなかったサービスをここまで広げた貢献は大きい。そして、これからもテロの発生、無差別殺人の発生、動機がはっきりしない自暴自棄な事件などまだまだ社会不安は増加する可能性が高いです。

まとめ

今後も、警備業は社会からの安全要請の中、成長が期待される分野です。興味がある方は求人サイトで警備会社を調べてみることをおすすめします。

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